八千代市のあゆみ

 八千代市は東京から31km、千葉から13kmという至近距離(しきんきょり)(とても近いこと)に位置しながら、印旛沼(いんばぬま)と新川周辺に広がる田園(でんえん)と山林を背景(はいけい)とする恵まれた自然環境(しぜんかんきょう)を残しています。
 歴史をさかのぼると、江戸時代には江戸と成田(なりた)を結ぶ成田街道(なりたかいどう)沿いにある大和田、萱田町が宿場町(しゅくばまち)として繁栄(はんえい)していました。その後、明治22年に大和田村(明治24年に大和田町)、(むつみ)村、阿蘇(あそ)村が誕生(たんじょう)し、大正15年の京成電鉄本線の開通によって大和田駅ができると、駅周辺を中心に市街地(しがいち)が形成されて、まちの(かく)ができあがりました。
 昭和29年には、大和田町、睦村、阿蘇村が合併(がっぺい)して八千代町が誕生(たんじょう)しました。
 昭和30年代になると、市の南部に日本初の大規模(だいきぼ)住宅団地である八千代台団地が(つく)られたのをきっかけとして、人口増加が始まりました。そして昭和42年1月1日に、人口4万1,574人で八千代市になりました。

 八千代市となってからも、勝田台団地(昭和43年)、米本団地(45年)、高津団地(47年)、村上団地(51年)と住宅団地が次々と造られたことにより、八千代市の人口は急速に伸びていきました。
 産業面では、昭和40年代に入ると大和田新田に八千代工業団地が、その後、上高野と吉橋にも内陸工業団地が造られ、八千代市は第2次産業都市としての性格も(あわ)せもった都市となりました。

 平成8年には、東京への通勤輸送対策(つうきんゆそうたいさく)として建設(けんせつ)が進められてきた東葉高速鉄道が開通し、駅周辺地区など各地で都市基盤整備(きばんせいび)が進められています。