
その年の9月13日に小祭が営まれ、続いて11月の上旬に船橋市三山の神揃場(かみそろいば)から二宮神社にいたる神輿の昇殿参拝と千葉市幕張の磯出式を中心とした二日間にわたる大祭が営まれます。
この祭りの伝説は、藤原時平の子孫が久々田(習志野市津田沼)に流れ着き、深山(三山)に住み着いた後二宮神社の神主になり、また、高津には時平の娘が住み着いたというものです。祭りに参加する9社には役割があり二宮神社(船橋市三山)は夫・父、子安神社(千葉市畑)は妻・母、時平神社(八千代市大和田・萓田町)は息子・長男、八王子神社(船橋市古和釜)は末息子、高津比咩神社(八千代市高津)は娘、菊田神社(習志野市津田沼)は伯父、大原大宮神社(習志野市実籾)は伯母、子守神社(千葉市幕張)は子守、三代王神社(千葉市武石)は産婆に当たると考えられてきました。
また、もう一つは室町時代に馬加(まくわり)城主千葉康胤(やすたね)が奥方の出産に際し、二宮・子安・子守・三代王の神主に命じ、馬加(幕張)村の磯辺にて安産祈願の祭礼を行い無事男子を出産することができたので、このような盛大な祭りを行なったというものです。大祭では二宮神社での参拝が安産御礼の祭りに当たり、その後の磯出式が安産を祈願するお祭りに当たることから「三山の祭りは後が先」と言われるようになりました。